今の生活を愉しめない
幸せに(暮らせるように)なるためには「今の生活を愉しむ」ことが大事です。でも、今の生活を愉しめない人もたくさんいます。どうして愉しめないのでしょうか? どうしたら今の生活を愉しむことができるのでしょうか?
1.生活を愉しむ意識
今の生活を愉しめていない人の多くは「生活を愉しもう」と努力していないのではないでしょうか。生活を愉しむことに罪悪感のようなものをもっている人もいます。「私にはできない」と最初からあきらめているのかもしれません。
「生活を愉しもう」と心がけている人は、それなりに愉しめているんじゃないかという気がします。
つまり、「今の生活を愉しもう」という意識があるかないかの違いが大きいのではないかと思うのです。
生活を愉しむことに価値があると感じていない人もいると思います。
どうせ生活するのなら、愉しめたほうがいいでしょうし、生活を愉しめたほうが幸せそうだと思いませんか?
「幸せになりたい」と思うのなら、生活を愉しむことを心がけてみてはどうかと思うのです。
『くよくよしない考え方」の中には、こんなふうに書いてしまいました。
「楽しくない」などと言う人の中には、ただなんとなく生活している人が多いような気がします。生活を愉しもうという意識が足りないのかもしれません。
生活を愉しむ工夫と努力をしないで、退屈しのぎだけのことをして長い時間を過ごしてしまっていいのでしょうか。
2.生活を愉しめない理由
生活を愉しめないという人にはいろんな理由がありそうです。
「忙しいから」という人が多いのではないでしょうか。忙しいことはいいこと、でも忙しすぎるのは問題だと思います。忙しくてもその中でする一つ一つのことを少しでも愉しめたらいいし、忙しい中に短い時間でも愉しめることがあったほうがいいでしょう。体は忙しくても心のどこかに余裕をもっていられたら、と思います。
もし本当に忙しくて何も愉しめることがないというような状況なら、生き方を考え直してみたほうがいいでしょう。今の生き方は自分には向いていないのかもしれません。最近、スローライフという考え方が広がりつつあるそうです。何か(たとえば、経済的なこと)を多少犠牲にしても心の幸せを大切にする生き方を選ぶのもいいのではないかと思います。
何か「問題を抱えているから」生活を愉しめないという人もいます。悩みや問題を抱えていてもそれなりに幸せに暮らすことはできるのではないかと私は思います。そういう心がけや努力が大事だと思うのです。
他にも、「誰か(何か)のせいで」「自分は××だから」などの“生活を愉しめない理由”を挙げる人がいると思います。それはもしかしたら、“生活を愉しもうとしない言い訳”ではないでしょうか?
できるかできないかはやってみなければわかりません。どんな理由があろうとも、それを言い訳にして何もしなければ生活を愉しむことはできません。それは自分のためによくないと思います。
生活を愉しめない理由を考えるより、どうしたら少しでも生活を愉しめるかを考えたほうがいいのではないでしょうか。
3.生活を愉しむには
今の生活を愉しむにはどうしたらいいのでしょうか?
そのためには、「今を愉しもう」という意識と、愉しむ工夫をすることだと思います。
また、やらなくてはならない事を少しでも愉しめるように工夫することも大事だと思います。
そしてできるだけ、自分のやりたいことをやることだと思います。
その前に「やりたいことがわからない」という人はやりたいことを探せばいいわけです。やりたいことを探すヒントとしては、好きなものを大切にする/探す方法を考える/1年間あったら何をしたいかを考えてみる/小さなやりたいことも探すなど、いろいろあると思います。
やりたいことがある人は自分のやりたい気もちを大切にして1つでもやれるように努力できたら、と思います。
生活を愉しむためには特別なことは必要ないと思います。ごくふつうのことを愉しめればいいのです。たとえば、私の場合にはこんな生活の愉しみがあり、こんな好きなものを大切にしています。
自分のささやかな愉しみを大切にする(感じる/工夫する/愉しみにする)ことで、けっこう生活を愉しめるようになれると思うのです。そのためには、小さな愉しみの価値が大きいことを知ることだと思います。
「生活を楽しむヒント」